これをお読みの皆様にもなぜかわからないけれども頑張ってしまうとか、なぜここまでこだわってしまうのかということはないでしょうか?
私が特に治療の上でなぜか頑張ってしまう疾患の一つが円形脱毛症です。つらい病気だから?かわいそうでなんとかしてあげたいから?振り返って思い出すまでは頑張ってしまうのはそんな理由かと考えていました。
母方の祖母が重度の円形脱毛症だったのです。祖母から直接その話は生きている間に聞いたことは一度もありません。母親からその話を幾度となく聞きました。それはひどい円形脱毛症だったと。それが理由で結婚ができなかったというのです。聞かされたときはあまりピンとこずに「ふーん」くらいで聞き流していました。しかも私から見る祖母の髪はふさふさでした。
祖母は明治生まれでした。結婚は20代前半ではいわゆる「行き遅れ」と言われる時代だったそうです。私の祖父は料理人でいわゆる「仕出し屋」を営んでいました。前妻は病弱だったらしく先立たれそうです。母曰く、前妻に先立たれたので人手として私の祖母が30歳になる頃に白羽の矢が立ったとのことでした。
小学5年生のお盆のときにいつものように祖母の家に遊びに行きました。「いやあ、今日は暑いわあ」と言いながら突然、吉本新喜劇ばりにカツラを取り、禿げあがった頭をタオルで拭き出しました。
人間は本当に驚いたときは声が出ないといいます。私も今までの人生で2回ほど声が出ないほど驚いたことがありますがその1回目です。2回目は25歳頃に車の助手席に座って交差点で信号待ちをしていたときにタクシーが自分目掛けて突っ込んできたときです。スローモーションのように自分に車が突っ込んでくるのですが驚きのあまり身動きもできず声も出ませんでした。目を剥いて突っ込んでくるタクシーをただ見ていました。
幾度となく暑いときもありましたが結局一生に一度しかカツラを取った祖母の姿をみませんでした。私があまりにも驚いた顔をしていたからか、一度は見せておこうと思ったのか聞くこともなかったので真相はわかりません。
円形脱毛症のために結婚できなかったと聞いてピンとこなかったのですが実際みると合点がいきました。やはり実際見たときは驚きました。円形脱毛症は患者さんにとって尊厳を失うほどショックの大きい病気です。
それから20年、皮膚科専門医になりました。潜在意識に残る経験からか円形脱毛症の患者さんの治療は特に力が入っていたように思います。円形脱毛症の治療についてはすべての治療法をマスターしたほどです。偶然ですがお世話になった京都第二赤十字病院皮膚科の部長の専門も円形脱毛症でした。
医師として根拠なく患者さんが治るなど軽々しく口にしてはいけないと教わってきましたがこういう実体験をしているせいか円形脱毛症の患者さんが初めて来たときに思わず言ってしまいます。「ほとんどの患者さんはもとに戻りますよ。時間がかかるだけです。あせらずに治療をしましょう。」そう励ましているだけなのですが安心するのかよく患者さんが泣いてしまいます。皮膚科外来中患者さんが一番泣き出すことが多い病気が円形脱毛症かもしれません。もちろん私の外来経験では。
患者さんは治りかけても不安だろうと治療を縮小していくときは特に気を使います。外来を引っ張っていると思われたくもないので気にしていないなら治療を終了してもよいくらい良くなっていますといいます。しかし、気にしている方は中止することによってまた元の状態へ戻るのではと不安が強いと思います。寄り添い相談しながら少しずつ治療を縮小するようにしています。最近では維持療法(ほとんど治っている状態でも治療を継続する)は成績がいいと学会でも言われてきています。
当クリニックでは円形脱毛症は重要疾患と位置付けております。保険でできる範囲、希望の範囲、私たちができる範囲で頑張って治療いたします。また、通いやすくなるように毎日改善を繰り返しています。私たちができないような治療方法や治療方針が不安な方はすぐに高次医療機関に紹介をしています。紫外線療法のひとつであるエキシマライトがまだ保険を通らなかったときは自費にて希望者には治療しておりました。実臨床で効果があるのに保険が通らない分高額になるのでなんとか保険が通らないものかと思っておりました。やはり実臨床の経験通りに効果があるようで2020年4月より保険適応となりました。
ただ、こんな私でもステロイド内服は全身的な副作用の観点からしないようにしています。2022年6月よりオルミエント®というリウマチの内服薬も効果があるといわれて保険の認可がおりました。つらい病気ではありますが全身の免疫を落とすのは個人的にはあまり気が進みません。
日本皮膚科学会認定皮膚科専門医 京都駅前さの皮フ科クリニック 院長 佐野 陽平
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